[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.12(最終回)]技術革新を起こし、国際競争力を強化せよ【前編】/小平紀生
2年後の激変
いよいよ「今後は本格的な脅威になる」と感じたのは12年です。中国のロボット工業会設立につながる「中国ロボット産業推進大会」が上海で開かれ、日本ロボット工業会(現会長・橋本康彦川崎重工業取締役)も共催になりましたので、私が専務理事に代わって参加しました。 大会では日本側の代表として、日本のロボット市場の状況などについて講演しました。講演後には、多くの聴講者があいさつに来て名刺交換をしたのですが、 日本語のできる人が多い。どうも当時の中国には、日本の大学院でロボット工学を学び、 帰国後に起業したシステムインテグレーター(SIer、エスアイアー)の卵たちがたくさんいたようです。 同時にロボットの専門展「2012上海国際机器人展覧会(CIROS)」も初めて開かれました。さすがにロボット専門展です、日本製、欧州製ももちろん並んでいたのですが、2年前とはうって変わって実用レベルの中国製ロボットが多数出展されていました。
国の肝いりでロボット事業に取り組む沈阳新松机器人自動化のような大手企業から、工作機械のNC装置メーカーからの参入組、ベンチャー企業などさまざまな企業が中国製ロボットに取り組んでいました。 創業が06年、07年という若い会社も多く、おそらく先の「国家中長期科学技術発展規画綱要」に関連した何らかの支援策もあったのではないかとも思います。 ただし、中国製ロボットの機能や性能は、日本製に比べてざっと7割くらいの感じです。機械の場合、良い製品を見よう見まねで作り上げると6割から7割くらいのデキになりますので、当時の中国製は見よう見まねの上限くらいの到達度だったと思います。 ちなみに、私は講演などで中国製ロボットの完成度を聞かれたら18年までは「7割くらいです」と言っていましたが、19年から「8割」に変更しました。だいぶ迫ってきています。 わずか2年で大きく進歩した中国のロボット産業を目の当たりにして、日本のロボット産業の国際競争力を高めることが必要と強く感じた次第です。
――後編へ続く (構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお) 1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。 ※本記事は設備材や工場自動化(ファクトリーオートメーション=FA)の専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。 関連記事:[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.12(最終回)]技術革新を起こし、国際競争力を強化せよ【後編】/小平紀生